まだ本決まりでは無いが埼玉を出る予定
実に10年世話になったさいたま市を出る可能性が高まりつつある。思いついた事を今日はぐだぐだ書こう。
東京都白金
東京都府中市
東京都練馬区
東京都武蔵野市
東京都府中市
東京都国分寺市
東京都調布市
東京都新宿区西早稲田
東京都新宿区中落合
と、子供の頃から東京中心の生活をしていた私だったが、
その後、
埼玉県与野市
フィリピンカビーテ州
埼玉県さいたま市大宮区
と10年の月日をさいたま市で過ごした。
都落ちの人生だ(笑)
まあ、どこの場所でも住めば都だ。
白金は3丁目の夕日の世界に似ていたが、それはノスタルジーなので今の東京の生活との比較は出来ない。
(東京タワーはもう出来ていた。)
幼少期に東京で過ごしたからといって東京の生活の方が馴染むかと思うと、今はそうでもない。
どこが一番住みづらかったかというと、実は新宿区中落合だった。
買い物も不便、車の移動も面倒、東京は高コストの割に実は全く便利では無い。
早稲田通りを通り、中野ブロードウェイの地下駐車場に車を止める。ごちゃごちゃした空間の中狭い通路の中を生活必需品を買い、駐車場に…。チケットを渡し、車が出るのを待つ。
大量の買い物品をカートに入れる事すら出来ない。
郊外に住むとそんな作業も面倒この上ない事に気づく。
生活必需品を買う場所が東京は本当に不便だ。
お台場のタワーマンションなんかに住むと多分不便極まりない。
これは実は大問題でもある。
街も生き物だ。街も古くなる。世界的に大店舗が増えた。
それも便利な反面、小資本の人々の仕事を奪った。
今後、商店のイノベーションが必要になる。
商店主の問題はそのイノベーションの自覚が無い事だ。
その商圏のニーズをどう捕らえるか?
そのアイデアを今後実践するつもりだ。
多摩ニュータウンの建設から現在までを見てきた私はその高齢化の影響は決して少なくない事を知っている。
高齢化した町は大きな問題だ。
東京は日本の最強のエネルギーを持った都市だ。
しかし、同時に疲弊している。老齢化している。
都市の機能を失い始めている。
免許が無かった時は吉祥寺が最も住みやすかった街だった。
自転車で全ての生活がまかなえた。
吉祥寺本町という今は無い?東急の裏に住んでいた。
特に70年代は私の青春だった事もある。赤毛とそばかすというロック喫茶が有ったり、アウトバックというジャズ喫茶が有ったり、音楽が生活に溢れていた。吉祥寺はそんなバックグランドも有り、多摩地区のロック好きな連中のたまり場的場所だった事もある。
ちょっと行くと井の頭公園が有る。
街と自然のバランスがそこそこ取れていた。
近鉄の裏の怪しい町裏
吉祥寺は色んな顔のある街だった。
調布に行った時に土日の吉祥寺の買い物も難儀な作業だった。車が動かなくなる。井の頭動物園の裏道から水道道路沿いの駐車場迄行くのにも、そこそこテクニックが必要だった。
東京はもうあまりに住みづらい。
今でも立川に住む友人の所にたまに行くと、動かない五日市街道になんでこんな道路が狭いんじゃ!と感じる。
車の移動に関わる時間が無駄なのだ。
さいたま市にはじめて来たときは、これまた不便だった。
東京からほぼ1時間は掛かった。
昔、東北道が岩槻インターまでしか延びていなかった時、
府中から岩槻まで3時間位掛かった。
新大宮バイパスも無く、旧16号も大変狭く、なんか色んな道路が入り組んでいる街という印象。
月に一回程、宇都宮に行ったのだが、同じ道を通った事は一度も無かった記憶がある。
それが大宮だった。
勿論、当時はカーナビなど無い。
母が居た、宇都宮の病院に行くのは1日掛かり。
その大宮に住むとは、その時は創造だにしなかった。
人生とは奇異なものだ。
東京や日本を感じるのは、やはり古い国という事だ。
モータリゼーションがはじまる前から人が住み着いている場所の道路はどこも狭く、くねくねしている。
海沿いの漁師町に行っても同様で、車がやっと入れる道を通り海に出る。昔は大八車が通れれば良かったんだろう。
土地の売買が先におこなわれ街作りが後になった。
日本の非効率は実はその辺りにもあると思う。
東京一極集中という名目の元、居住空間よりも仕事優先に生きる事を選択させられた国民は、大都会という名の元で狭い空間の中、空も見えない谷間の中、部屋の内部のエアコンが吐き出す熱気の空気を吸い生きている。果たして、それが良い事なのだろうか。
先日、丸の内の弁護士事務所に行った。
新丸の内ビルで昼食を取ったのだが、そこにいるウェイトレスを見て、彼女は多分遠方から満員電車に乗り、東京駅で降り、このお店に出勤する。まあ、10時から7時位まで、外の見えないこのビルの内部で仕事をする。
この彼女の人生はエアコンの音と、沢山の一元客と、この閉じられた空間で過ごすものでしかない。
それが皆当たり前だと思っているのだろうが、果たしてそれが人生と言えるものだのだろうか?
そんな疑問が沸いていた。
丸の内という場所だが、その閉じられた空間は別に丸の内である必然が感じられない。その中の閉じられた人生…。
東京は今、そんなイメージしかない。
さいたま市は有る意味変貌した。
首都高が延びたのが大きい。東京から来るのにこれまた便利になった。ただ、住む場所については皆、自分の場所が一番だと思っている。それは帰巣本能のなごりだと思うのでそれはそれで良いのだが、移動の時間が短縮する事と、ひょいと高速を乗ればどこでも行けるのはこれまた便利なのだ。
大宮は便利な街だ。
パソコン関連商品も、ビックカメラは有る。ソフマップ、ドスパラだってある。駅はエキュートが有り、スタバは数店有る。
まあ、いつもの生活の中でそうそう沢山の店には行かないが、うまいラーメン屋、そこそこのイタリアン、ヨーカ堂もジャスコも、小さな八百屋も含め生活には不便が無い。
そういう意味では東京よりも遙かに便利だ。
さいたまは再起の街だった。
ここで起業できた事もある意味必然なのかもしれない。
そんな色々な思い出も、10年という月日も過ぎ去ってしまえば全てが短かった一瞬のようなものだ。
さいたまでも色々な事が有った。
私のさいたま市に居た10年の最も強い印象は?
平坦
という事だ。
さいたま市は変化が無い。
微妙な起伏は勿論ある。しかし、丘が有ったり、山が有ったり、
そよぐ風が山肌を撫でるなどというイメージが無い。
何より、海 がない。
多分、私のDNAは海と関係していたのかもしれない。
私の苗字は沖縄に多い。多分先祖は沖縄人だった可能性が高い。
この年になり、海が妙に懐かしい。それも又先祖のDNAを引き継いでいるのかもしれないと思う。
続く。
2010年08月24日 登録