作品一覧

米軍基地

身近だったアメリカ

私自身の経歴を思うと、アメリカがいつもそばに居た。
叔母が戦後アメリカ人の軍人と結婚した事で、いとこはアメリカ人とのハーフだ。今、付き合いは無いが子供の時は立川に住んでいた。

当時、立川には米軍基地が有った。

今の昭和記念公園の場所だ。
その周りにはアメリカ人の居住区も有り、立川の町にはアメリカが有った。ちなみに私は立川病院で生まれている。

その後、いとこ達は原宿のワシントンハイツというアメリカ人の居住区に移った。当時の代々木公園は完全にアメリカそのものだった。中は芝生が敷き詰められ、映画館が有り、夏にはキャンデーを売っていた。今、思えば原宿の一等地がアメリカだった。

日光にもアメリカ人専用の温泉ホテルが有った。

その後、いとこ達は調布の関東村に移った。調布から府中に掛けてもアメリカが有った。確か東府中の北側に関東村の入り口が有ったような…。記憶違いかもしれない。野川公園はアメリカ人のゴルフ場だった。

9才まで彼らは日本で育ち、その後、ハワイのホノルルに行った。
日本語しか話せなかった彼らは、翌年、テープを送ってきた。
その時、いとこは 『僕は何してる』 としか言えなくなっていた。

9才で府中の武蔵台という場所に引っ越した。
6帖、4,5帖、4,5帖の3Kの小さな平屋、国立から歩くと30分も掛かる場所だ。まだトウモロコシ畑が有り、裏にはうっそうな林が有った。

寝ていると、夜中遠くでゴーという音がしていたのを覚えている。
横田基地の飛行機のアイドリングの音だ。
深夜放送が流行だし、ビートルズの曲がずーっと流れていた。

中学に入ると、年に一回、調布のアメリカンスクールとバスケットボールの試合をする。私たちがアメリカンスクールに行き試合をし、その後、彼らが私たちの中学に来て試合をする。

皆、上手かったし、驚いたのは、アメリカンスクールの設備だ。
体育館というよりも建物内部にコートが有り、床のニス塗りが分厚い。点数の表示も電光掲示板だ。私たちは手動だった。
バスケットのネットは電動で動く、又、壁一面を引っ張り出すとベンチになる。それも電動だった。試合が終わると相手選手達はシャワールームに消えて行った。

アメリカンスクールのバスケットチームが私たちの中学に来ると、それこそ体育館が見物人で満杯になる。アメリカ人の存在は目立ったし、日本人だらけの社会から見ると特別な体験だった。
彼らから見る日本はまだ途上国的だったと思う。
真っ黒い制服を着ている生徒達を見て、彼らは何を思っただろう。
(ちなみに日本語をかなり話すアメリカの生徒も居た。)

日本と比べると、アメリカの全ては眩しく、輝いていた。

高校は青梅の高校に行った関係で、米軍基地内部でアルバイトをした。福生基地と、東大和の居住区、立川基地内部の掃除のアルバイトだ。時給160円だった。

学校の床、窓、ロッカー、ボーリング場内部等、引っ越した後の家一軒を丸ごと等掃除する。

学校は日本と全く違った。私服であり、机と椅子が一体になっていてきちんと並んでいる訳では無く、生徒が教室を移動していた。
日本の数百倍自由の国アメリカという感じだった。
学校の外の芝生の上でいちゃつく高校生を見ながら、自分たちの環境とは大違いだった事を思い出す。
東京の中にもかなりアメリカが存在していた。

そのアメリカのイメージも大きく変わった。

横田基地はまだ現存する。
大分前だが中には大学もあると聞いた。
(そこに通っている日本人の子に聞いた。)
ただ、東京からは徐々に確実にアメリカは消えて行った。
今でもその痕跡は少しはある。しかし、確実に人々の記憶からは遠のいているだろう。

横田基地周辺ももっとアメリカそのものだった。
兵員の減少により、ビジネスも雰囲気も、町も変わった。

私は昔まさか自分が車を持てるような身分になれると思っていなかった。日本という国が今のように豊かになれるとはそれこそ創造もしていない。

子供の頃、アメリカに行ったことは無かったが日本の中のアメリカを疑似体験するだけでその生活レベルの高さに驚いている自分が居た。

まだ貧しかった日本がこんなに成長するとは殆どの日本人が思っていなかったろう。それも又、アメリカの道筋に日本が乗ったからだ。

沖縄の人々にとって、普天間の存在が私にとっての、かつての東京と同じようなものかはわからないし、沖縄は本土の防衛の防波堤として大きな犠牲を受けた。沖縄戦で苦労をされた方々には言葉も無い。

歴史を戻す事は出来ないが、戦争の傷跡は敵にも味方にも大きな傷をいまだに残している。

太平洋戦争を大局的に見た場合に意見は様々に有るのは分かっている。国家は謀略だらけであり今よりも民衆は簡単に洗脳されていた。

しかし、あんなに自国民の兵隊を平気で自決させる国が勝つわけがない。優秀で勇気のある奴らほど先に死ぬ。日本人の精神性は他国ではよほど深く考える奴ら以外、侍の精神性など理解出来ない。
その精神性が日本の分岐点だ。愛国心は帰巣本能に近いと思っているが、それを国家は操る。人々はそれに踊る。全ての国家が同じだ。

歴史に『たられば』は無いが、もっと早く和平に持ち込めば敵、味方の犠牲者が少なく済み、日本の対外イメージも随分と変わった筈だ。

補給路を断たれた先人の兵隊達は食料も無く生きる事さえままならない状況に置かれ、降伏は許されず自決する事を洗脳された。現地の食料を盗み、女性をレイプしたのはマッカーサーがフィリピンに戻ってきたからだと義理のフィリピン人の父に聞いた。

アメリカ側においても果敢に日本と戦い死んでいった人々も存在し、その争いに巻き込まれ死んでいったアジア人も居る。

天皇をトップにまとまる日本人はその侍の精神性は別に、今で言う北朝鮮的なイメージを世界に持たれた筈だ。
異様なイメージだ。

楽しそうで豊かで民主主義な明るい国アメリカ
天皇を中心とする規律に縛られ自由がなさそうな日本

世界はどちらを選択するかは一目瞭然だ。

人間が一人一人になった時には誰もが戦争など良いとは思わないだろう。しかし、人間が集まった時、それは変わる。国家になると又変わる。人類はいつまでこんな事を続けるのだろう。

普天間問題を解決するのは、この日本国をどんな国に私たちがしたいのか? で決めるしかない。

東京のようにアメリカの存在は確実に薄くなっている。
いずれ沖縄もそうなるだろう。

戦争は良くない。
しかし、弱い国は結局搾取の対象になっていく。力を持たねば自分たちさえ守れない。残念ながらそれが世界の現実である。

鳩山首相がオバマ大統領に相手にされないだけでマスコミも大騒ぎ。金があるところに人間は蟻のようにたかり、金がなくなると雲散霧消するのにである。逆にこれから日本が落ちたときに真の友が分かる時とも言えるし、一度、日本は落ちるところまで落ちた方が良いのかもしれない。

自民党も、民主党も、又 アメリカも全てがもう一度、我々は何のために生きているのかを議論した方が良い。
アメリカの存在が問題ならば、日本は自国の軍隊を持ち、貴方の子供が死ぬことを覚悟せねばならないかもしれない。

軍備がいらないならば、他国が攻めて、貴方の子供が拉致され奪われ犯され連れ去られ筆舌に尽くしがたい行為をされるかもしれない。

結局、日本はアメリカに守られる事でアメリカの植民地まではいかなくてもアメリカの子分としての立場を与えられ、それを守ってきた。 アメリカ様には逆らえねえだぁよ~。という農民と同じといいながら、実はアメリカを利用してきたのかもしれない。
但し、日本国民も又アメリカの延命や消費に対し多額の出費をしていることも確かである。

(アメリカのダイナミズムは本当に凄い。私自身はそういうアメリカは大好きである。グーグル等に代表されるITにより日本のビジネスチャンスも増えている。日本の問題は最後法律の問題になる。問題はやはり政府になる。)

七人の侍のように、農民ってえのはな~。本当はずるくて、汚くて、弱虫の大馬鹿野郎だ!(こんな台詞だったよね)と同じだ。

日本人は憲法9条を都合良く利用してきたのだ。

平和憲法というアメリカが作った法律を、社会主義者や共産主義者が標榜しているのもある意味お笑いだ。

より良い国に出来るのか。

全ての国の戦争により血を流し亡くなった方々への弔う為にそろそろ議論する時ではなかろうか。

普天間の問題としてではなく、日本の問題として。

戦後の処理をまともにしてこなかったつけが今、吹き出ている。

2010年04月26日 登録

コメント一覧